監修弁護士 辻 正裕弁護士法人ALG&Associates 埼玉法律事務所 所長 弁護士
- 残業代
従業員から残業代を請求された際、そのまま残業代を支払って終了させてしまうことがありますが、後に従業員から再度残業代を請求されるなど、紛争の一回的解決につながらない可能性があります。
今回は、残業代を請求された場合に、和解で解決する際の注意点について解説したいと思います。
目次
- 1 未払い残業代の請求と和解による解決
- 2 和解後に紛争を蒸し返すことは許されるのか?
- 3 賃金全額払いの原則と賃金債権放棄の関係
- 4 賃金請求権放棄の有効性に関する裁判例
- 5 和解が「賃金債権の放棄」として問題になり得る可能性
- 6 和解で解決するにあたって使用者が注意すべき点
- 7 よくある質問
- 7.1 残業代請求で和解が成立しなかった場合はどうなるのでしょうか?
- 7.2 未払い残業代の請求で、労働基準監督署が介入することはありますか?
- 7.3 退職する従業員に、退職後に残業代を請求しないと約束する誓約書を交わすことは可能ですか?
- 7.4 未払い残業代請求における、和解金の相場はいくらぐらいですか?
- 7.5 未払い残業代の請求に時効はあるのでしょうか?
- 7.6 従業員の退職時に、未払い賃金がない旨の念書を取り交わしました。この念書に法的な効力はありますか?
- 7.7 賃金債権放棄が無効とされるのはどのようなケースですか?
- 7.8 残業代請求の和解後に「和解は会社から強要された」と主張されました。この場合はどう対処すべきでしょうか?
- 7.9 和解交渉は口頭よりも書面でやり取りした方がいいのでしょうか?
- 7.10 和解合意書を作成しておけば、再度残業代を請求されることはないですか?
- 8 未払い残業代請求で和解による早期解決を目指すなら、経験豊富な弁護士に依頼することをお勧めします。
未払い残業代の請求と和解による解決
未払い残業代を請求された場合に、判決や審判ではなく、和解によって解決することがあります。
和解の意義と効力
和解とは、「和解は、当事者が互いに譲歩をしてその間に存する争いをやめることを約することによって、その効力を生ずる。」(民法695条)と規定されています。
また、その効力は、「当事者の一方が和解によって争いの目的である権利を有するものと認められ、又は相手方がこれを有しないものと認められた場合において、その当事者の一方が従来その権利を有していなかった旨の確証又は相手方がこれを有していた旨の確証が得られたときは、その権利は、和解によってその当事者の一方に移転し、又は消滅したものとする。」と規定されています。
このように、和解とは、当事者が紛争を終了させることに合意することで、事後的な蒸し返しができなくなるという効力をもっています。
和解後に紛争を蒸し返すことは許されるのか?
前記したとおり、和解には蒸し返しを防ぐ効力がありますから、和解した後に、その紛争を蒸し返すことは許されません。
なお、錯誤や詐欺があったという例外的な事情がある場合には、和解の効力自体が否定されるという意味で蒸し返しはあり得ます。
賃金全額払いの原則と賃金債権放棄の関係
労基法24条には、賃金全額払いの原則が定められていますが、これを遵守するのであれば和解によって労働者が賃金債権を放棄したとしても、使用者は、賃金を全額支払わなければならないのではならないかとの疑問が生じます。
賃金全額払いの原則
賃金全額払いの原則とは、「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。」(労基法24条1項本文)と規定されるもので、賃金の一部を控除して支払うこと等を禁止し、労働者の生活保障をするための規定です。
賃金債権を放棄することの有効性
賃金債権を放棄するということは、ここで禁止される控除に該当してしまうのではないのか、ということが問題となります。
ただ、これについては、労働者が退職に際し、自らの自由な意思に基づき退職金債権を放棄する旨の意思表示をした場合に、全額払いの原則がその意思表示の効力を否定する趣旨のものであるとまで解することはできないとした判例があります。
賃金請求権放棄の有効性に関する裁判例
この著名な判例として、シンガー・ソーイング・メシーン・カンパニー事件(最判昭和48年1月19日)があります。
事件の概要
同事件では、労働者が、会社との間で雇用契約を合意で解約することになったのですが、就業規則に基づけば、その労働者には退職に際し、408万2000円の退職金が支給されるはずでした。
ただ、この合意解約の書類には、「労働者は会社に対し、いかなる性質の請求権をも有しないことを確認する。」との記載があり、労働者が会社に請求できる請求権は、この退職金請求権以外考えられませんでした。
就業規則に計算式が明記されるような退職金は賃金の一部としての性質を有することがあり、これを放棄するということは賃金全額払いの原則が禁止するのではないかが問題となりました。
裁判所の判断(事件番号 裁判年月日・裁判所・裁判種類)
最高裁は、退職金であっても労働の対償としての賃金としての性質を有する場合には賃金全額払いの原則が適用されるとしつつ、「しかし、右全額払の原則の趣旨とするところは、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もつて労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活をおびやかすことのないようにしてその保護をはかろうとするものというべきであるから、本件のように、労働者たる上告人が退職に際しみずから賃金に該当する本件退職金債権を放棄する旨の意思表示をした場合に、右全額払の原則が右意思表示の効力を否定する趣旨のものであるとまで解することはできない。」と判示しました。
ポイントと解説
最高裁は、賃金全額払いの原則は使用者が一方的に賃金を控除することを禁止して労働者の生活を保護しようとするものであることを明示し、自らが権利を放棄するときにまで及ぶものではないことを明確にしました。
ただ、これに続き、放棄の意思表示の効力を肯定するには、それが労働者の自由な意思に基づくものであることが明確でなければならないとも判示しています。
放棄させることは可能ですが、後に強制的に放棄させたといわれないような状況も必要であることに注意が必要です。
和解が「賃金債権の放棄」として問題になり得る可能性
以上の賃金債権の放棄については、残業代を和解で解決する場合にも問題になりうる可能性があります。
上記したとおり、和解とは互いに譲歩をして成立させるものであって、労働者も未払い残業代を請求額よりは低い額で和解することになります。残業代も賃金の一部ですから、賃金債権の放棄がなされたということで、同様の問題が生じると見る余地があります。
労働者から自由な意思による和解(賃金債権の放棄)ではなかったなどと言われる可能性があります。
和解で解決するにあたって使用者が注意すべき点
未払い残業代を請求された際、多くの場合では、会社としても言いたいことはあるはずです。
労働時間が不正確である、指示していない持ち帰り残業がある、単価の計算や、残業代の計算が異なる等々、様々な反論が考えられます。
これらの主張を行い、労働者からの再反論を受けて、互いに譲歩しながら和解が成立していく流れを取るのであれば、労働者からの自由な意思による和解であったという外観が担保されていきます。
放棄を強要するのではなく、自社の主張をきちんと行っていきながら和解を行うことがポイントになります。
よくある質問
以下では、残業代の請求についてよくある質問についてみていきます。
残業代請求で和解が成立しなかった場合はどうなるのでしょうか?
交渉であれば労働審判や訴訟に移行することになるでしょう。
仮に労働審判や訴訟で和解が成立しなかったというのであれば、審判が下されたり、判決が下されることになりますので、裁判官が残業代の額を決めることになります。
未払い残業代の請求で、労働基準監督署が介入することはありますか?
労働者から会社に対する請求という民事事件に労働基準監督署が介入することはありませんが、労働基準監督署から、未払い残業代があって労基法に反するといわれて是正の措置を取るように指示されることはあります。
退職する従業員に、退職後に残業代を請求しないと約束する誓約書を交わすことは可能ですか?
可能です。上記したように清算条項(互いに何らの債権債務がないことを確認するといった条項)を退職合意書に盛り込むことなどの手段によって、残業代を請求しないという誓約書を得ることは実質的に可能でしょう。
ただ、これも上記したように自由な意思に基づかない合意であるとされた場合にはその効力が否定される恐れはあります。
未払い残業代請求における、和解金の相場はいくらぐらいですか?
未払い残業代請求に相場というものはありません。未払い残業代は、その労働者の賃金や時間外労働時間数によって定まるものであって、各労働者の状況によって千差万別であるからです。
未払い残業代の請求に時効はあるのでしょうか?
未払い残業代も賃金債権ですから、3年(2024年4月以降)で時効にかかります。
従業員の退職時に、未払い賃金がない旨の念書を取り交わしました。この念書に法的な効力はありますか?
上記したとおり、未払い賃金がない旨の念書にも法的な効力はあります。ただ、同様に自由な意思による合意かどうかが問題となりますので、その点はご注意ください。
賃金債権放棄が無効とされるのはどのようなケースですか?
例えば、放棄を強要した場合や、労働者がこれに合意するメリットや事情がないという場合には、無効と判断されやすい方向になってしまうでしょう。
残業代請求の和解後に「和解は会社から強要された」と主張されました。この場合はどう対処すべきでしょうか?
上記したとおり、労働時間が不正確である、指示していない持ち帰り残業がある、単価の計算や、残業代の計算が異なる等々、様々な反論や再反論を行ったうえで、互いに譲歩しながら和解は成立していくものです。そのため、一方的に強要したものではないとう証拠(双方の主張書面など)を提出して対処することが良いと考えます。
和解交渉は口頭よりも書面でやり取りした方がいいのでしょうか?
記録を残しておくことは何にとっても有用ですから、書面でのやり取りをお勧めします。もちろん、ざっくばらんな交渉もよいのですが、最終的には書面で取りまとめることがよろしいかと考えます。
和解合意書を作成しておけば、再度残業代を請求されることはないですか?
強要された合意であったという形で、和解合意書の効力自体を争われるのではない限り、再度残業代を請求されることはないでしょう。
未払い残業代請求で和解による早期解決を目指すなら、経験豊富な弁護士に依頼することをお勧めします。
以上に見てきたとおり、会社としては、未払い残業代を請求された場合には、単に支払えばよいだけではなく、和解に至る過程や和解の内容などにも十分に配慮する必要があります。
紛争を蒸し返されるというのは、非常にストレスにもつながりますので、未払い残業代を請求された場合には、弁護士などの専門家に相談して解決していくことをお勧めいたします。
埼玉県内で未払い残業代請求でお悩みの企業の方は、ぜひ一度弁護士法人ALG&Associates埼玉法律事務所にご相談ください。
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