監修弁護士 辻 正裕弁護士法人ALG&Associates 埼玉法律事務所 所長 弁護士
突然ですが、あなたは「遺留分」という言葉を聞いたことがありますか?
故人(被相続人)が遺言書を作成していても、一定の法定相続人には最低限受け取れる財産の割合が民法で保障されています。これが「遺留分」です。
しかし、この遺留分は、相続人自身の意思で「放棄」することが可能です。
本記事では、この「遺留分放棄」について、それがどのような制度なのか、生前(相続開始前)と相続開始後で手続きがどのように異なるのか、さらには放棄のメリット・デメリット、「相続放棄」との違いなど、法律実務を踏まえて弁護士が分かりやすく解説します。
ご自身やご家族の相続対策、事業承継などを検討されている方は、ぜひこの記事を最後までお読みいただき、検討の一要素としてください。
目次
「遺留分」は放棄できるのか?
結論から申し上げますと、遺留分は放棄することができます。
ただし、遺留分を放棄する手続きは、「相続開始前(生前)」と「相続開始後(死後)」とで大きく異なります。
特に生前に放棄をする場合は、家庭裁判所の許可が必要となり、非常に厳格な要件が定められています(民法1049条1項)。
遺留分は、相続人の生活保障や相続財産の公平な分配という観点から、民法が強く保護している権利です。
そのため、その権利を失う「放棄」については、本人の自由な意思と合理性が特に重視されます。
まずは、この遺留分と遺留分放棄の制度について、基本的な点から解説していきましょう。
そもそも遺留分とは
遺留分とは、兄弟姉妹以外の法定相続人(配偶者、子、直系尊属)のために、民法上保障されている最低限の遺産の取り分のことです(民法1042条1項参照)。
被相続人は、生前に自らの財産をどのように処分するか、あるいは遺言書を作成して誰にどれだけ相続させるかを自由に決定できます(遺言自由の原則)。
しかし、もし遺言書によって特定の相続人にすべての財産が集中したり、特定の第三者に多額の財産が遺贈されたりした場合、他の近しい相続人の生活が脅かされたり、公平さを欠いたりする事態が生じかねません。
このような事態を防ぎ、相続人の生活保障や相続財産の最低限の公平性を確保するために設けられたのが遺留分制度です。
遺留分が侵害された相続人は、財産を受け取った人に対して、侵害額に相当する金銭の支払いを請求できます。
この権利を遺留分侵害額請求権といいます。
ここでのポイントは、遺留分の権利を持つ人(遺留分権利者)は、配偶者、子(代襲相続人を含む)、直系尊属であり、兄弟姉妹は法定相続人であっても遺留分はないところです。
遺留分放棄とは
遺留分放棄とは、遺留分権利者である相続人が、将来的にまたは現に発生した遺留分侵害額請求権を行使する権利を自らの意思で手放すことです。
つまり、遺留分権利者が遺留分放棄をすると、他の相続人や受遺者が遺言書通りに財産を取得したとしても、その相続人は「遺留分が侵害された」として金銭を請求する権利を失います。
遺留分放棄は、被相続人の生前に行う場合と、相続開始後に行う場合とで、その法的性質と手続きが異なります。
生前(相続開始前)の遺留分放棄:
まだ発生していない将来の遺留分侵害額請求権をあらかじめ放棄することであり、家庭裁判所の許可が必要です。
相続開始後(死後)の遺留分放棄:
既に発生している遺留分侵害額請求権を、権利行使しない旨を表明することであり、特定の厳格な手続きは不要です。
遺留分放棄は、特に事業承継の場面や、特定の相続人に特定の財産を集中させたいという被相続人の強い意向がある場合に、相続トラブルを未然に防ぐために検討されることが多い手続きです。
遺留分放棄のメリット・デメリット
遺留分放棄は、被相続人側と遺留分権利者側の双方にメリット・デメリットが生じます。
特に被相続人の意思を尊重し、円滑な相続を実現するうえで大きな効果がありますが、一方で権利者側には注意すべき点もあります。
メリット
遺留分放棄の最も大きなメリットは、「被相続人の意思を確実に実現し、相続争いを未然に防げること」にあります。
- 事業承継の円滑化
中小企業の経営者などが、後継者である特定の子に自社の株式や事業用資産を集中させたい場合、他の相続人に遺留分を放棄してもらうことで、後継者の事業基盤が揺るがされるリスクを排除できます。
これにより、遺留分侵害額請求による会社の不安定化を防ぎ、円滑な事業承継が可能となります。 - 特定の財産保全
自宅などの特定の不動産を特定の相続人に確実に残したい、あるいは、長年の介護に対する報償として特定の相続人に多くの財産を譲りたいといった被相続人の意向を、遺留分侵害額請求によって覆されることなく実現できます。 - 相続開始後の紛争防止
遺留分侵害額請求権は、相続開始後に行使されると、他の相続人との間で感情的な対立を生み、長期的な紛争に発展しやすい傾向があります。
生前に放棄が完了していれば、この紛争の火種を事前に消すことができます。
デメリット
遺留分放棄は、放棄した相続人自身にとっては大きなデメリットを伴う可能性があります。
- 権利の喪失
最も大きなデメリットは、被相続人の財産に対して最低限保障されていた取り分(遺留分)を一切請求できなくなることです。
被相続人が、遺言書で放棄者に財産を全く残さない内容を書いても、放棄者はそれに対して何も主張できなくなります。 - 生前放棄の厳格な要件
生前に遺留分を放棄するためには、家庭裁判所の許可が必要です。
この許可を得るためには、「本人の自由な意思」「合理的な理由」「代償措置の有無」といった厳格な要件を満たさなければならず、手間と時間がかかります。 - 放棄後の撤回は原則不可能
一度、家庭裁判所の許可を得て遺留分を放棄した場合、原則としてその放棄を撤回することはできません。
後になって「やっぱり放棄しなければよかった」と思っても、基本的に権利を回復することは不可能です。 - 相続人としての地位は維持
遺留分放棄をしても、その人は相続人としての地位を失うわけではありません。
例えば、借金などのマイナスの財産を含めた相続財産全体を放棄したい場合は、遺留分放棄とは別に「相続放棄」の手続きが必要になります。
この点は、次の章で詳しく解説します。
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相続開始前(生前)に遺留分放棄する方法
生前に遺留分を放棄するためには、必ず遺留分権利者本人が家庭裁判所に対して許可の申立てを行い、許可を得る必要があります。
この手続きは、遺留分制度が相続人の生活保障を目的とする強力な権利であるため、本人の意思を尊重しつつ、不当な強制がないかを厳格に審査するためです。
ここで注意するべき点は、生前に親族間で「遺留分はいらない」という念書や覚書を交わしても、家庭裁判所の許可がない限り、その遺留分放棄は法的な効力を持ちません。
遺留分放棄の手続きの流れ
生前の遺留分放棄は、以下の流れで進められます。
- 1 必要書類の準備:申立書、戸籍謄本、被相続人の財産目録(分かる範囲で)、放棄に至る経緯を記載した書面、代償措置に関する資料(ある場合)などを準備します。
- 2 家庭裁判所への申立て:遺留分権利者本人が、被相続人(財産を遺す人)の住所地を管轄する家庭裁判所に対し、「遺留分放棄の許可の申立て」を行います。
- 3 家庭裁判所による調査(審問):裁判所の調査官や裁判官が、申立人(放棄する人)や被相続人に対して、申立ての経緯、放棄の真意、放棄に至る合理的な理由、代償措置の有無や内容などについて聞き取り調査(審問)を行います。
- 4 許可の審判:家庭裁判所が上記の要件をすべて満たしていると判断した場合、遺留分放棄を許可する旨の審判を下します。
この手続きは、あくまで本人の自由な意思と合理性を審査するものであり、単に「親が望んでいるから」という理由だけでは許可が出ないことが多いことに留意が必要です。
家庭裁判所が遺留分放棄の許可を出す要件
家庭裁判所が遺留分放棄の許可を出すかどうかは、主に以下の3つの要件を総合的に判断して決定されます。
これらの要件は、遺留分権利者の権利を不当に侵害しないための重要なチェック機能となっています。
①本人の自由な意思に基づいているか
遺留分放棄は、遺留分権利者本人の自由な意思に基づいていることが大前提です。
- 強制・欺罔の有無
被相続人や他の相続人から、脅迫や強要、あるいは欺罔によって放棄をさせられたのではないか、精神的に追い込まれてやむを得ず放棄する状況ではないか、といった点が厳しく審査されます。 - 意思能力の確認
放棄する人が、遺留分という権利の内容や、放棄によってどのような効果が生じるかを正しく理解し、判断できる能力(意思能力)を有しているかも確認されます。 - 自由な意思の立証
申立書や審問において、放棄が自発的な選択であることを説得的に説明する必要があります。
②遺留分放棄をする合理的な理由があるか
単に「親の言うことだから」という理由だけでは不十分で、遺留分を放棄することに客観的・合理的な理由がなければなりません。
- 先行して財産を受け取っている
例えば、放棄する相続人が既に被相続人から多額の生前贈与を受けている、あるいは海外留学や起業の資金援助など、特別の利益を受けているといった事情は合理的な理由として認められやすいです。 - 被相続人の事業への協力
被相続人の事業承継を円滑にするために、後継者でない相続人が放棄をすることに合理性が認められるケースもあります。 - 他の相続人との公平
他の相続人の生活状況や介護への貢献度などを総合的に考慮し、放棄することが家族全体の公平に資すると認められる場合も、合理的な理由となり得ます。
③放棄する遺留分と同等の代償があるか
家庭裁判所は、遺留分権利者がその権利を放棄することによって、経済的に不利益を被らないよう、代償措置の有無と相当性を重視します。
- 代償措置の例
放棄の見返りとして、被相続人から金銭を受け取っている、または特定の不動産を譲り受けている、あるいは生命保険金の受取人になっているといった事実がこれに当たります。 - 代償額の相当性
代償措置がある場合、その経済的価値が、放棄する遺留分の価値と比べて著しく不均衡でないかが審査されます。不均衡が大きすぎる場合は、自由な意思に基づく放棄と認められない可能性があります。 - 代償がない場合
代償が全くない場合でも、上記の「合理的な理由」で述べたように、既に多額の生前贈与を受けているなどの特別な事情があれば、許可が下りる可能性はあります。
しかし、代償がない場合は、より厳格な審査が行われることになります。
生前に書いた遺留分放棄の念書は有効か?
前述の通り、被相続人の生前に、遺留分権利者が「遺留分はいらない」という内容の念書や覚書を単独で作成したり、親族間で交わしたりしても、それ自体には法的な遺留分放棄の効力は認められません。
民法上、生前の遺留分放棄の効力発生要件として、家庭裁判所の許可が必須と定められているからです。
したがって、もし念書を作成していたとしても、相続開始後に遺留分を請求されれば、その念書を理由に請求を拒むことはできません。
念書は、裁判所に提出する際の「放棄の意思を示す資料の一つ」として機能し得るに過ぎず、単独で法的効力を持つことはないため注意が必要です。
生前に確実に放棄の効果を得たいのであれば、必ず家庭裁判所へ申立てを行う必要があります。
遺留分放棄を撤回することはできるか?
原則として、家庭裁判所の許可を得て有効に成立した生前の遺留分放棄は、撤回することができません。
遺留分放棄は、被相続人の遺言作成の自由を保障し、円滑な財産承継の基盤を確立するための制度であり、法律関係の安定が極めて重要だからです。
ただし、例外的に以下のようなケースでは、無効または取り消しが認められる可能性があります。
- 詐欺・強迫による放棄
家庭裁判所の許可を得る過程で、他の相続人や被相続人から詐欺や強迫があったことが判明した場合、民法の規定に基づいて放棄の意思表示を取り消すことができます。 - 錯誤による放棄
放棄の内容について、重大な勘違い(錯誤)があった場合、その放棄は無効となる可能性があります。
しかし、これらの主張が認められるためのハードルは非常に高く、裁判で立証していく必要があり、簡単なことではありません。
相続開始後(死後)に遺留分放棄する方法
相続が開始された後(被相続人の死後)の遺留分放棄は、生前の放棄とは全く異なります。
相続開始後においては、遺留分権利者に与えられた権利は「遺留分侵害額請求権」という具体的な金銭債権です。
この金銭債権を行使しないことを表明したり、権利を行使する期限が過ぎたりすることで、結果的に遺留分を放棄したのと同じ状態になります。
相続開始後の遺留分放棄に、家庭裁判所の許可は不要です。
放棄の方法としては、内容証明郵便など書面で、財産を受け取った人(受贈者・受遺者)に対して「遺留分侵害額請求権を行使しない」旨を通知する方法などが一般的です。
これは、相手方に権利不行使の意思を明確に伝えることで、後日の紛争を防ぐためです。
遺留分放棄に期限はあるのか?
相続開始後の遺留分侵害額請求権には、厳格な期限が定められています。
この期限内に権利を行使しなければ、時効により請求権は消滅し、結果的に遺留分を放棄したのと同じ効果となります。
そのため、遺留分放棄自体には、期限はないですが、消滅時効の期間を迎えてしまうと放棄するか否かを選択することができなくなります。
遺留分侵害額請求権の行使期間(消滅時効)は、以下のいずれか早い方です。
- 1「相続の開始を知り、かつ、遺留分を侵害する贈与または遺贈があったことを知った時」から1年間
- 2「相続開始の時」から10年間
このうち特に重要なのは1年間の期限です。
1年間の期限は、相続人(遺留分権利者)が「被相続人が亡くなったこと(相続の開始)」と「自分の遺留分が侵害されているという事実」の両方を知った時点からスタートします。
この1年という期間は非常に短いため、遺留分を請求するか放棄するかは、速やかに判断する必要があります。
また、10年間の期限は、仮に遺留分の侵害を知らなかったとしても、相続開始から10年が経過すると、時効により遺留分侵害額請求権は完全に消滅するものです。
遺留分侵害額請求権を行使するのか、あるいは行使せずに放棄するのかを迷っている場合でも、この1年間の期限を徒過しないよう、まずは弁護士に相談し、現状の権利関係を把握することが極めて重要です。
「遺留分放棄」と「相続放棄」の違い
「遺留分放棄」と「相続放棄」は、どちらも「放棄」という言葉が入っていますが、放棄の対象、法的効果が全く異なる別個の制度です。まず、放棄の対象が異なります。
「遺留分放棄」は、これまでの記載のとおり、遺留分侵害額請求権のみを放棄します。
そのため、相続人としての地位は維持されます。
しかしながら、「相続放棄」は相続人としての地位をすべて放棄することになります。
他にも違いはありますが、最も重要な違いは、「相続人としての地位を失うかどうか」です。
「遺留分放棄」は、遺留分侵害額請求権を失うだけなので、相続人の地位として故人(被相続人)の財産を承継することができます。
一方で、「相続放棄」は、初めから相続人ではなかったことになるので、故人(被相続人)の財産の一切を承継しないこととなります。
したがって、被相続人に多額の借金があり、財産を一切受け継ぎたくない場合は、「遺留分放棄」ではなく「相続放棄」の手続きをする必要があるため、混同しないよう注意が必要です。
このように、「遺留分放棄」は、事業承継、特定の財産保全、特定の相続人への集中的な財産承継等を特定の人やモノを保護するために用いられることがほとんどです。
その一方で、「相続放棄」は、個人(被相続人)に多額の借金がある、相続争いに巻き込まれたくない等、相続の舞台から離れることを目的として用いられることがほとんどです。
遺留分放棄すべきかどうかで判断に迷ったら、まずは弁護士にご相談下さい。
遺留分放棄は、一度有効に成立すると原則として撤回できないという、非常に重い法律行為です。
特に生前放棄の場合は、家庭裁判所の許可要件をクリアするための合理的な理由の準備や資料の提出が不可欠となります。
故人(被相続人)側では、特定の相続人に確実に財産を集中させたい、事業承継を円滑に進めたいが、遺留分が紛争の火種にならないかという不安があると思います。
一方で、相続人側では、親から「遺留分を放棄してほしい」と言われたが、放棄することで将来の生活が不安で、代償として提示された額が適正なのか判断できないという不安があると思います。
このように、遺留分放棄は、単なる法律手続きではなく、ご家族の将来の生活や事業の安定に直結する、極めてデリケートな問題を含んでいます。
なので、判断に迷う場合は、一度、相続問題に強い弁護士にご相談ください。
弁護士は、あなたの状況を正確に分析し、遺留分の金額の試算、代償措置の適正性の判断、家庭裁判所への申立に必要な書類作成、裁判所とのやり取りまで、一貫してサポートいたします。

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- 保有資格
- 弁護士(埼玉弁護士会所属・登録番号:51059)
